2020年4月号 会長ハロー通信より

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お元気ですか      嶋昇です。

 

 傘寿のお祝い

 今年の2月に80歳の誕生日を迎えました。私の親父は90歳まで生きたので、80歳の頃はまだスーパーヤオマサ中町店の店先で昔ながらの八百屋の売場を持ち、青果市場での仕入れから販売まで独立採算でやっていました。従業員が一人専属で手伝っていましたが、近所の顔見知りのお客様と会話をしながら商いをするのが楽しみで遣り甲斐だったようです。

 私も6年程前に社長を息子に譲ったのですが、うちのような零細事業では家族が全員で頑張らねば生きていけないので、家内も巻き込んで息子の応援をして来ました。

 この歳になるとさすがに体力も落ち、足も弱くなってきましたが、私も親父と同じで、仕事を取ってしまうと「かえってぼけてしまうのではないか」と時間を短くして今まで通り頑張っています。

 子供達が私の傘寿のお祝いと、家内の誕生祝を兼ねて食事会をしてくれるとの事で、久しぶりに子供と孫が全員集まりました。

 私が家内と見合結婚したのは29歳の時でした。翌年には長男が生まれたので、丁度いまから50年前の事になります。歳子で長女が生まれ、2年おいて次男が生まれ、あっという間に3人の子持ちの夫婦になりました。

 

 

当時私は「八百政商店」の社員として、スーパーヤオマサ関本店の店長をやっていました。毎日朝早くから夜遅くまで仕事を頑張ったのですが、予算が達成できず苦労したのを思い出します。

 私の生活は会社の仕事中心だったので、仕事で精力を使い果たしてしまい、家に帰っても家内にはあまり気を遣わずに無口で、今考えると心細い思いをさせてしまいました。

 家の事や子育てを家内任せにして、仕事中心の生活で、山あり谷ありの人並以上に起伏のある人生でしたが、今日、族全員に囲まれて傘寿のお祝いが出来るのは、有難い幸せな事だと夫婦共々喜んでいます。