社長の田嶋崇之です
エヴァンゲリオンみたいなオリンピックの話
今年も6月を迎え1年の半分が終わろうとし、いつもながら人生なんかあっという間だなぁと思う今日この頃です。今月のトピックは、これを書いている時点で「オリンピックをホントにやるのかどうか、よく分からない」です。これって普通に考えて凄い事ですよね。2か月後にこのハロー通信の原稿を書くときには、やっているのかやっていないのかハッキリ分かるので、今からそれがとても楽しみです。
毎回オリンピックが近づくとテレビ局とか公式スポンサー企業がバンバンCMを流して否が応にも盛り上がるし、今回は我が国が開催国なので何もなければ今頃は既にオリンピック一色なはずです。しかしコロナ禍が収まらない今はオリンピックなんか二の次、と言うのが世の意見として多いのがよく理解できます。1年前に延期が決まった時は「人類がコロナに打ち勝った証として開催する」なんて言っていましたが、今や「緊急事態宣言下でも開催できる」とか言って、やる事そのものが目的化しています。そして「我々は犠牲を払わなければならない」とか言い始めて、日本が第二次世界大戦で負けた最後の2年くらいはこんな感じだったのだろうと思います。
でも、まぁそれでも多分やるんだと思います。地域の自治会のお祭りを開催するにしても、役割分担を決めて必要なものを発注して、回覧板は1か月以上前に手配して、役員さんは本番の1週間前には最終準備で集まりましょう、なんてやるのだから、国を挙げた一大イベントが本番2か月前を切って今更やめようがないと言うか、止まるものも止まらない所までとっくに来ていると思います。世の中の偉い人がたくさん集まって崇高な理念を掲げてやっている事がグダグダになっていくという、稀に見るものを見させて頂いていると思えば、何だかありがたい気がしますし、実はよくある事なんだと思います。ただこんな傍観者であってはいけなくて、今を生きる当事者として、開催国の一市民として、しっかり関わらなければならないと思います。でないと、これがもし戦争だったら、ただグダグダと戦争の泥沼にハマるのを傍観するだけの不作為の戦犯になってしまいます。これがもし戦争だったら意味のない戦いなんて今すぐやめるべきだと思います。それが今更やめようがないオリンピックの場合は・・・「やるしかない」と言うのがグダグダな私の意見です。やめるんだったらあと1か月は早くに決めるべきだったし、そのデッドラインはもっと早くに決めておくべきだったと前から言われていましたが、このグダグダなオリンピックを認めるのは、それをなんとなく傍観していた自分の責任だと思うようにします。
で、ここからオリンピックをどうやって盛り上げていくか考えました。
先日、久しぶりに映画館へ行き「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観てきました。テレビシリーズが放映されたときはリアルタイムで観ていませんがレンタルで借りて観て20年以上経ちます。今回は旧劇場版と新劇場版3部作をツタヤで借りて観て、しっかり予習して観てきました。観た人は分かると思いますが、あれだけ風呂敷広げて取っ散らかして、「あれは一体何だったんだ」という疑問をぶん投げてファンを虜にしてきた作品が、20年以上を経て最後綺麗にまとめられた、と言うのが感想です。2時間半の大作で最後の1時間はトイレに行きたくて集中力を欠いたのが残念ですが、賛否両論あると思いますがラストの展開に私はとても感動しました。
今回のオリンピック、やるべきか・やめるべきかとか、意義とか目的とか、まだまだ議論の風呂敷は広がっていきそうですが、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」みたいに怒涛の勢いで風呂敷が綺麗に畳まれていくところを是非見てみたいと思います。そしてこのオリンピックの風呂敷を広げるのも畳むのも私たち自身なのだと思いたいです。