2021年4月号 会長ハロー通信より

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お元気ですか      田嶋昇です。

 仏縁

 

の彼岸に孫を含めて家族総出でお墓参に行きました。

あいにくの土砂降りでしたが、孫達も平塚から来たので、予定を変えずに皆でお寺に向かいました。

 

家族総出でお彼岸のお墓参り

 

 

分家である三男の私にお墓があるのは、亡き祖母と父が中華事変で戦死した未婚の弟(田嶋近雄私の叔父)を不憫に思い、同じお寺の境内に本家のお墓とは別に、大きな屋根付墓石の立派墓地を作りお守りしていました。それが結婚を期に私達夫婦が引き継いだからです。

私が子供のころから、兵隊さんのお墓と言って、我が家のお墓参りの時に一緒に線香を手向けて来ました。 只、その墓石の裏側に何故か私の名前が刻まれていたので「なんでかな?」とは思っていました。

後年、私と家内が結婚した時、実家の仏壇に一緒に安置していた「兵隊さんの位牌」を親父は新しい仏壇と一緒に我が家に持ってきて、「新しく所帯を持ったのだから、これからはお前達夫婦が兵隊さんの位牌とお墓を守るように」と言ってきました。

私は親父の気持ちが分かるので有難く受け取ったのですが、さすがに親父も新妻の家内には気を使ったようで、お墓や仏壇の事についていきさつ等くどくど説明していました。

叔父の近雄さんは昭和12年6月6日に上海で戦死、26歳でした。戦死といっても、本人のお骨が戻った訳ではなく,只通知が来ただけでした。

「お国の為に亡くなった」という事で下賜金を頂いたようですが、親父はそのお金全てを使って立派な「近雄さんのお墓」作ったと言ってました。

私達が結婚したのは昭和43年、私が28歳の時ですから、戦死してから31年経っていた訳ですが、家内も親父の頼みを良く理解してくれたようでした。

 

 

結婚を機に父より送られた我が家の仏壇

 

当時は私がスーパーヤオマサ関本店の店長をしていた頃ですので、家の事は家内任せで、朝早くから夜遅くまでお店の仕事で忙しくしていました。今では考えられない程の長時間労働でしたが、当時は当たり前のことでした。

結婚すると、すぐに長男が生まれ、引続き長女、次男と生まれたので直ぐに3人の子持ちになりました。

私達は見合い結婚ですので、家内は知らない土地で知らない人々にまじっての子育ては大変だったかと思いますが、あまり愚痴も言わずに頑張ってくれました。

我が家では子供達が小さい頃から朝晩仏壇で手を合わせるようにして来ました。

今は、これも親が導いてくれた仏縁かなと、家内共々感謝しております。